生活のつき合いが社会性を育てる「豊かな人間関係を体験させよう」310f717a

生活のつき合いが社会性を育てる「豊かな人間関係を体験させよう」

インターネットの普及により、世界中とつながることも可能な時代です。しかし、ネット上の仮想的な関係は、それが人間同士の関係であったとしても、社会性を育む役割を果たしていないということは、多くの酷い事件の発生が示唆しています。

社会性を育てるのは生身の人間関係

人間は社会というものを形成し、1人1人が社会的な存在であるという点で、ほかのどの動物とも違います。子育ての目的は、ただ体を成長させることではなく、社会の中で生きていくためには、どうしても他者とのかかわりが重要であることを教え、「やっていける」ようにすることが至高であるともいえるでしょう。

現代の日本社会を冷静に見てみましょう。子供たちのコミュニティでは、学校においてはいじめや学級崩壊、学校を離れても、少年犯罪の凶悪化には目を覆うばかりですし、家庭内暴力や、そこから殺害につながった悲しい事件も発生しています。

大人社会にも当然問題はあります。家庭では子供を虐待し、殺してしまう親が大勢いますし、知的で人格者であることが望まれる政治家、官僚、企業トップが、信じられない悪事に手を染めたり、お粗末な理由で辞職に追い込まれたりと、がっかりすることが多いのは非常に残念なことです。こういった状況は、現代の日本人の社会的知性が欠如に起因している問題ではないかと思われます。

脳科学の考え方ならば、個人内知能や対人的知能といった人間関係をつかさどる知能が育ってこなかったのではないかと考えられます。

インターネットの普及により、社会のグローバル化が進んだと言われています。しかしそれは、一見世界中とつながっているように見えるだけで、人間と人間との関係というものは希薄なのではないかと思います。

記号を使って情報をやりとりしているに過ぎないからです。記号のやりとりだけでコミュニケーションが成り立つのならば、人間は大脳皮質を発達させる必要はありませんでした。

人間が大脳皮質に連合野と呼ばれる複雑な情報処理網を発達させることができたのは、視覚や聴覚に表情、声色、しぐさなどの、生身の人間にだけ発することのできる複雑な情報を織り込む必要があったためです。それが人間が生きていくために必要なことでした。

管理された集団では人間関係は育たない

子供の社会性を育てる上で最も大事なのは、さまざまな人間関係を体験させることです。子供の人間関係の原点は親との心のつながりです。その原点から出発し、人間関係の輪を広げていけばいいのです。

もともと家庭というものは、もっと社会に向かって開かれていました。ごく普通の家庭に、親類や近所の知人がしょっちゅう出入りをしていて、子供は家庭にいながらにして、多くの人々との出会いに恵まれました。

マンションの一室の、扉の内側だけの世界で、接する人間は親だけという子育て状況では、子供の対人的知能の発達など、とても期待はできません。

幼児教室に入ったり、保育園や幼稚園などの集団に入れるというのも、人間関係の幅を広げるのには有効な手段です。しかし、そうしたところは営利目的で運営されているという基本を忘れてはいけません。大人が一定のルールのもとで子供を管理するという点では、管理社会であるといういい方もできます。

例外は例外として認めるものの、お金を払うことで何かを教わる性質の教室機関というものは、ある程度そういう性質を持っているものだということも忘れるべきではありません。

子供にとって一番よい人間関係は、多様な年齢層の人々の中で、自発的で自由、しかし、自分の思い通りにばかりは動かない、そういう性質のものです。

仲良く遊んだり助け合ったりする一方、軽いいざこざや、イジワルなお友達といったトラブルをも包含した、そんな関係こそが、社会の縮図としての役割を果たし、子供の社会性を育む一助となるのです。

親が率先して異年齢集団をつくろう

家族のユニットが細分化され、しかも御近所同士の付き合いも希薄になっている今の日本において、子供に豊かな人間関係というものを経験させるには、親が積極的に地域コミュニティなどとのかかわりを作っていくことが重要です。簡単なことではありませんが、手をこまねいていても進みません。

お住まいの市町村の子育て支援や保育サークル、親同士のもともとの友人関係など、最初のきっかけは何でもいいのです。似たような年齢の子ばかりでなく、大きいお兄ちゃん、お姉ちゃんがいて、赤ちゃんがいて、さらには親とはまた違うアプローチで自分たちと接する大人の存在がいてというのが理想的です。

幼稚園や学校とは違う、もちろん家庭とも趣を異にする集団とのふれあいは、しょっちゅう定期的に行われる必要はありません。たまにであっても、何がしかの思い出や思い入れを子供の中に生じさせることでしょう。そうした体験と、そのときの思い出や感動は、子供の心のこやしになるはずです。

祖父母とのつきあい方

おじいちゃん、おばあちゃんというのは、子供にとっては親に次いで身近な存在の大人たちです。

祖父母たちにとって孫というのは、「目に入れても痛くない」と言われるほどかわいい存在であることが多く、ついつい甘やかしてしまうといった事例もないではありませんが、それは逆に言うと、時にはシビアに物事をとらえ、子供に厳しいことを言わざるを得ない親たちとは違い、子供たちにとっては「自分を絶対に否定しない大人」にもなり得るということです。

実際、そう頻繁にあう存在でなかったとしても、「おじいちゃんやおばあちゃんが大好き」だと言う子供はたくさんいます。そこに長い人生経験から得た知恵や、練り上げられた人間性が加われば、良き人生の師匠ともなれます。

今後、さらに高齢化社会の問題は深刻化していくことが予想され、今の子供たちは、その社会を支える一員になる必要があります。

そうして身近に高齢の方が増えていく状況の中では、子供たちにとって「お年寄り」を身近な存在として感じ、接することができるというのは、必要な心構えの一つと考えられます。そうした意味でも、一番身近な高齢者である祖父母とは、良好な関係を築いておきたいところです。

両親の立場からすると、ジェネレーションギャップによる子育てメソッドの違いなどから、祖父母(そもそも自分の「親」の立場である場合もありますが)が要らぬ「進言」してくるのが疎ましいなど、細かな問題は間々起こりがちです。

甘やかしがちだったり、構いがちだったりする祖父母に対し、あれもダメ、これもダメとダメ出しばかりでは、「かわいがっているだけなのに」と気を悪くするでしょうし、そもそもの考え方がずれている場合、理屈・理論では通じないこともあります。

そこで、親としてここだけは絶対に譲れないというラインについては、納得してもらえるようにしっかりと説明しましょう。

例えばお子さんに何らかの食品アレルギーがある場合、高齢の方の場合、アレルギーについての知識や認識が現代の常識とは合わず、「食べないのはわがまま」「好き嫌い」などととらえ、食べさせてはいけないと注意したものを与えてしまったというトラブルはよく聞かれます。

時には命にかかわる問題でもありますから、こういったところは厳しく注意しなければなりません。



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